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読書的な何か。

読書と読書にまつわるテクノロジー、雑記など。

書評『ネット・バカ』(1)

doksyo-tek.hatenablog.com

上記でNicholas Carr『The Shallows』を取り上げておきながら、読んでいないのはいかがなものか。

ということで、邦訳『ネット・バカ』を読みました。

内容的に、これまで取り上げてきた「紙とディスプレイの違い」について、様々な検討の視点やきっかけを与えてくれる一冊でした。もう5年以上前の著作ですが、現在においても十分に解けていない課題が多く示されています。特に、今後の読書技術を考える上で避けて通ることができないインターネット(WWW)との関わりについては、整理しておく必要があると思いました。

概要

インターネット・メディアが人々にもたらす変化について、歴史/メディア論/心理学/神経科学等の学術研究の成果を示しながら解き明かしていく、という内容です。

私は、特に4章~7章を重点的に読みました。このパートは、ページ(4章)、メディア(5章)、本(6章)、そして脳(7章)の4つの観点から、インターネット・メディアの浸透が読書にもたらす変化について論じています。

以下、話を3つの視点に絞って、自分の考えをまとめてみたいと思います。タイトル通り、本の紹介を中心としたいのですが、今回は、併せて、この本を読んで何を考えたか・どう整理しておいたほうがよいかに関するメモも記しておきたいと思っています。

  • 視点(1)深い読書
  • 視点(2)ウェブの影響
  • 視点(3)新しい読書

視点(1)深い読書

音読から黙読へ

読書の歴史を紐解くと、かつては音読が中心だったそうです。そのため、記述は音読用の切れ目がなく言葉が続く書き方、「続け書き」(スクリプトゥラ・コンティニュア)が用いられていました。リズムの取り方など発話者への依存が大きいものだったようです。それが、1000年頃になると、標準的なシンタックス・システムが登場します。つまり、スペースや句読記号が普及し、音読から黙読へと読書形態が変わってくるわけです。

読書のプロセス

タフツ大学のメアリアン・ウルフによれば、読書には「脳内で重要な視覚/音韻/記号情報を読み取り、高速に検索できること」が求められます。この動作を切れ目なく実行するためには、注意の持続が必要であり、それは脳にとって不自然な思考プロセスになるそうです。脳はその不自然さを乗り越えるため、集中が必要になる。人は、集中するために沈黙し、その中で連想・推論・類推し、ひいては思考を育てていくことになります。

深い読書の心的プロセス

この「沈黙→集中→注意の持続→切れ目ない読み取り」というプロセスを通じて、人の意識を(言葉・思念・情動を伴う)「内なるフロー」に向けていくことが、深い読書です。

小説を読む際の脳活動モニタリング調査によれば、読書時に活性化される領野は、現実世界で同様の活動を行ったり観察したりする際に使用される部分であることが多いそうです。つまり、脳内の「内なるフロー」において、小説で描かれる内容がシミュレートされ、過去の経験から得られた個人的知識と統合される、ということが行われているのです。そして、この統合こそが、連想・推論・類推、そして思考を実行するための材料となるわけです。

視点(1)のまとめ

読むという行為は、以下のプロセスに集約することができます。

  1. 記号類の読み取り
  2. 個人の経験や知識との統合
  3. 連想・推論・類推
  4. 思考の確立

そして、これらをループさせるためには、注意の持続が必要不可欠であり、そのために集中状態と沈黙状態の両立が行われます。

つまり、読むとは、脳に集中と沈黙という負荷をかけるのと引き換えに、思考を得ていると言うことができるのだと思います。

読書論が乱読を推してみたり、精読を推してみたり、イマイチ正解が確立しないのも、ベースとして集中と沈黙があれば(脳が注意を持続するモードに入っていれば)、その上での処理手順の違いは個人差であり、どちらでもいいのかもしれません。

次の視点は、ここに「ウェブ」が現れるとどうなるか、という点なのですが、長くなってきたので、それはまた次回に!

参考文献

参考

▼ニコラス・G・カー,篠儀直子著「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」(青土社)
4791765559