読書的な何か。

読書と読書にまつわるテクノロジー、雑記など。

紙とディスプレイ -表示媒体の違いにおける読みやすさ(8)

はじめに

これまでの投稿を振り返りながら、「紙とディスプレイ -表示媒体の違いにおける読みやすさ」について、考察してみたいと思います。

これまでの振り返り

本稿はそもそも、「読みやすさって何なのだろう」と考えたことがきっかけでした。Wikipediaの「可読性」のページには、「読みやすさとは、読者と文章の相互作用の結果である」とあります。

それならば、読者、文章それぞれが読書とどのような関わりを持っているのか解析できれば、読みやすさの原理が明らかにできるかも、と考えたわけです。

そこで、まず文章側の解析として、情報工学のアプローチを調べました。具体的には、読みやすさの評価指標(難易度推定)についてです。

ここでわかったことは、語彙の難しさと構文の複雑さを数値化することで、文章の難易度を推定し、読みやすさを測る、という研究がなされているということでした。

一方、読者側の解析として、「紙媒体のほうがディスプレイより理解できる」とする脳実験がありました。これを受け、ネットの議論などを参考に、読者が読書に没頭する要因、読書を阻害する要因について、認知科学のアプローチを調べてみることにしました。

調べてみると、読書への没頭や阻害という観点の論文は多くなく(←実は数点見つけたのですが)、「紙とディスプレイを比べると紙の方が理解度が高い」という主旨の論文が多くありました。ここで「理解度が高い」とは「読解ができている」ことを指すようです。読みやすさと読解の因果関係はわかりませんが、相関は高そうです。

さらに、調べる過程で、サンノゼ州立大・Ziming Liu教授による、昨今のDigital Readingを概観する論文に出会いました。この論文は、5つのパートからなり、読書時に、人と紙、人とディスプレイはどう相互作用しているのか、について様々な研究成果がサーベイされています。

論文から、紙とディスプレイの対比において、「紙は頭の中で繰り返し思考する読み方に適しており、ディスプレイは大量の情報から所望の情報を入手する読み方に適している」と言えそうでした。

この一連の認知科学アプローチの調査は、先日書評に書いた『ネット・バカ』の内容と類似しています。集中と沈黙による深い読書と、ウェブページをF字形に目を通す飛ばし読み。紙とディスプレイでは明らかに読み方が異なります。つまり、「紙とディスプレイそれぞれに適した読みやすさ要素があるのではないか」ということです。

読みやすさとは

では、改めて、読みやすさって何なのでしょう。

自分なりに図解して整理してみました。

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図1.読みやすさの要素

まず一番左に著者の「思考」があります。「思考」は文字を使って構造化された「文章」になります。そして、レイアウトされて「紙(もしくはディスプレイ)媒体」上に表現されます。「読者」はこれらの「媒体」にアクセスして読む、という図です。

こう図示すると、今回調査したのは、グレー黒線枠の「リーダビリティ」および「差分」のところになります。そのため、グレー黒点線で示した以下の3点については、まだ未調査なことがわかります。

  1. 文字:思考を文字に表出する過程
  2. 構造化:文字群を文章として構造化する過程
  3. レイアウト:文章を紙/ディスプレイにレイアウト(組版)する過程

「読みやすさ」をウェブで検索すると、よく出てくる検索結果に可読性、視認性、判読性というものがあります。各要素の定義が不明瞭ですが、文字通りに捉えるならば、どうもレイアウトに関する領域における読みやすさの指標のような気がします。

最後に

図1が読むという行為の全てを表現しているとは思いませんが、読むという行為をもう少し広く俯瞰し、かつ、このブログのテーマである「読書にまつわるテクノロジー」としてどう捉えられるかについて、考えていきたいと思います。

参考