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読書的な何か。

読書と読書にまつわるテクノロジー、雑記など。

書評『読書の今昔』

物理学者・寺田寅彦エッセイです。

読書の今昔というタイトルのエッセイですが、昭和7年(1932年)に書かれたものですので、今から見ると、80年以上前…。読書の昔・大昔ですね。ただ、彼がこのエッセイで言いたかったことがとてもしっくりきたので、まとめてみました。さすが大物理学者です。

読み方の変化

エッセイによれば、1930年代、既に出版は多様化・多品種化が進んでいたようです。そのような状況を受け、寺田寅彦は、物理学者・日下部四郎太の言葉「少なく読み、多く考えよ」を引用し、読み方の変化に考察を加えていきます。

それは多読よりも、少量の本を丁寧に深く読む姿勢の重要性でした。

無批判的な多読が人間の頭を空虚にするのは周知の事実である。

書物の珍しかった時代の人間が書物によって得られた幸福の分量なり強度なりが現代のわれわれのそれよりも多大であったことは確かであろう。

興味に応じた読書

その一方で、多くの本を気軽に書店で選べるようになった今(80年前ですが)、どのように読書すべきか、一つの方法論も示しています。

「自分でいちばん読みたいと思う本をその興味のつづく限り読む。そしていやになったら途中でもかまわず投げ出して、また次に読みたくなったものを読んだらいいでしょう」

これは、まさに先の読書力でいうところの「多量の読書:幅広い読書を通じた、価値観や倫理観の形成ができる」ということであり、これは現代でも十分通用する。寺田は、多読を「興味に応じた読書」と捉え、さらに以下のような理由付けをしています。

 ある本を読んで興味を刺激されるのは何かしらそうなるべき必然な理由が自分の意識の水平面以下に潜在している証拠だと思われる。それをわれわれの意識の表層だけに組み立てた浅はかな理論や、人からの入れ知恵にこだわって無理に押えつけねじ向ける必要はないように思われる。

 人々の頭脳の現在はその人々の過去の履歴の函数である。

 それである人がある時にAという本に興味を感じて次にBに引きつけられるということが一見いかに不合理で偶然的に見えても、それにはやはりそうなるべきはずの理由が内在しているであろう。ただそれを正当に認識するには、ちょうど精神分析の大家がわれわれの夢の分析判断を試みるよりもいっそう深刻な分析と総合の能力を要求するであろう。

現在、心理学や認知科学、脳科学、情報科学を通じて読書のメカニズムに迫ると、個々人の経験や、読書に至る/読書中の/読書間のコンテキスト(文脈)解明に行き当たります。なんと寺田はこれを80年以上前に予想していたわけです。

寺田は、興味に応じた読書を以下のように結論付けています。

ある時にちっとも興味のなかった書物をちがった時に読んでみると非常な興味を覚えることも珍しくない。

若い時分には、読みだした本をおしまいまで読まないのが悪事であるような気がしたのであるが、今では読みたくない本を無理に読むことは第一できないしまた読むほうが悪いような気がする。

いろいろな書物を遠慮なくかじるほうがいいかもしれない。

デジタルアーカイブへの示唆

いろいろな書物をかじるにしても、流行の、店頭ですぐ手に入れられる本と、外国に注文し、手に入れるのに二か月以上かかる本がある。そういった、本の内容に伴うアクセスの違いについて、寺田は以下のように述べています。

そういう商品としてでない書籍の供給所を国家政府で経営して大概の本がいつでもすぐに手に入れられるようにしてもらうことはできないかということである。

寺田が今のデジタルアーカイブや電子出版、電子図書館の取り組みを知ったら、どのように感じたでしょうか。ハマりまくって、毎日インターネット三昧になるかもしれません(^^;)

本との付き合い方

読書環境の変化に伴う、興味に応じた読書の提案。そして、本の内容に依存しない自由なアクセス。そんな、寺田が想像した本との付き合い方は、今の世の中においては実現している面もあり、まだ実現していない面もあります。特に未解決の部分は、今後技術的/制度的にも取り組みがいのあるテーマになるかもしれません。

示唆に富む、いくつかの記述を引用して終わりたいと思います。

技術的に取り組んでみたいアイデア その1

のんきに書店の棚を見てあるくうちに時々気まぐれに手を延ばして引っぱりだす書物が偶然にもその人にとって最も必要な本であるというようなことになるのではないか。そういうぐあいに行けるものならさぞ都合がいいであろう。

技術的に取り組んでみたいアイデア その2

一冊の書物を読むにしても、ページをパラパラと繰るうちに、自分の緊要なことだけがページから飛び出して目の中へ飛び込んでくれたら、いっそう都合がいいであろう。

本の未来への警鐘?

それにしても日々に増して行く書籍の将来はどうなるであろうか。毎日の新聞広告だけから推算しても一年間に現われる書物の数は数千あるいは万をもって数えるであろう。そうしてその増加率は年とともに増すとすれば遠からず地殻は書物の荷重に堪えかねて破壊し、大地震を起こして復讐を企てるかもしれない。